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世界的な指揮者の佐渡裕さんは、プロの音楽家でも心に染み通るほどむっちゃ良かったなっていうコンサートは、100回に1回くらいしかないと。それでも、たった1回でも心の底から感動した生の演奏を経験したら、また指揮棒を持ってコンサートホールに行くって言うわけ。

僕の場合も、嫌なことがあってたまに「この仕事は向いてないかな」とか「そろそろ辞めようかな」と思っても、たまに100回に1回でもおもしろいことやうれしいことがあったら、次、101回目もやると思うよ。何回かに1回でも、思わず「むっちゃいい講義やったな。教えることって好きやな」と思える回があったら大丈夫やな。特に学生からのうれしい感想がもらえたら、ちょっとやそっと嫌なことがあっても、やっぱりもう少し続けようと思うもんね。もうそれくらいで十分「天職」って言ってあげなあかんよね。僕は研究者と教師という両方の顔があるけど、「教育」が含まれてるおかげで、大学の教職が天職だと思う。
天職の定義を本当に「神に呼ばれてる仕事」にまでしてしまうとしたら、そこまでの天職観を持ってる人はなかなかいないんじゃないかな。例えばカメラマンでも、「カメラと共に生まれてきた」みたいな人いる? そこまでの人はまずいないよね。うまくいかんこともあるし、自分の思いよりも優先しなきゃならんこともあるしね。
だから天職っていうのは仕事に何の迷いもないっていうんじゃなくて、つらいことや向いてないなって思うことがあっても、「100回に1回でも、これさえあれば続けられる」というものがあれば、天職って言ってあげなあかんと思うな。本当に天に呼ばれているようなコーリングという天職を純粋天職だとしたら、天職ダッシュくらいでいいと思う。
どんなすごい人もやっぱり人から認められるとか褒められるとか、「やっててよかったな」という内からあふれ出るものがあるから続けていけるんやと思う。それプラス、少しでもどこかで社会の役立ち感を得られれば、それで十分やと思うね。
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